初代 美好家肇

10才の頃、やんれ節、鈴木主水を覚え音頭を語る。
12、13才(昭和17年)頃から八尾市 常光寺の櫓で音頭取る。

1966年 8月 日本コロムビアより「河内音頭 マメカチ」SAS-6038 を発売。
太鼓:天龍 満
合唱:宝塚新芸座々員
演奏:宝塚管弦楽団
監修:今 東光
作詞:宝塚新芸座文芸部
作曲:溝口 曉

河内音頭 マメカチ

1968年 東宝・宝塚映画(河内フーテン族、原作 今東光)音頭の歌い手役で出演。
1970年 大阪万国博覧会にて河内音頭を披露。
2005年 11月20日 山本コミュニティセンター「音頭と講演」
2008年 5月21日 永眠

 

河内音頭天国でも
歌い手美好家肇さん死去

 晩年も伸びやかな声で河内音頭を歌った美好家肇さん(家族提供) 河内音頭の歌い手、美好家肇(みよしやはじめ)さん(本名・西川肇)=八尾市山本町北=が、5月21日に78歳で死去した。張りのある声で、河内の人情を会場の「やぐら」から70年近く歌い続けた。盆踊りの季節を前に、相談役を務めていた「八尾本場河内音頭連盟」(18会派)の会員からは「若いものも負けてはいられない」と悼む声が上がっている。

 同市で生まれ育ち、10歳でやぐらに立った。師匠につかず盆踊り会場を転戦し、「やぐら、やぐらで勉強してきた」が口癖だった。

 21歳で結婚し、すし店を始めたが、切り盛りは妻のアイ子さん(78)に任せた。「何度も『音頭では生活できん』と言ったが、聞かなかった。本当に音頭を愛してたんだなあと思います」とアイ子さん。市内の寺で住職を務めていた直木賞作家の今東光氏の紹介で、30歳代から芝居や映画に河内音頭の歌い手役で出演した。盆踊りにとどまらず、地域の新築家屋の棟上げ式にも呼ばれた。

 長男の会社員喜文さん(54)も、中学生時代から「太鼓たたき」として同行。夏場には一晩で数か所のやぐらを巡ることもあったが、ほめられるのは年に1回程度。「ええ音頭やった」。その一言をもらうため、歯を食いしばったという。

 晩年も地域の敬老会などで歌ったが、昨秋に体調を崩した。今年1月の入院後、病床で「もう一度、治して歌いたい」と周囲に言い続けた。5月24日の告別式には、音頭仲間ら500人が参列。屋号を染めた着物がひつぎに入れられた。弔辞を読んだ同連盟会長の大和(やまと)家石勝(やいしかつ)さん(61)は振り返る。「寝ても覚めても音頭、音頭で尽力いただいた。若い者が勉強をさせてもらった師匠さんでした」

(2008年6月18日 読売新聞)

       
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